徒然日記 2007 fin.

2007年に日本からシルクロードを通ってアジア・ヨーロッパまで自転車で行ってきました。その時のB-logです。行動の記録と写真をlogって家族・知人に現在地を連絡するのに使っていました。現在は無事に帰国しています。右中段のArchivesから記録がたどれます。

金曜日, 8月 31, 2007

160日目(Quchan - Tehran)

→600? Tehran
→830 Hotel [35US$]

 明け方にバスでテヘランの南郊外に着きました。そこから自転車でえっちらおっちらテヘラン中心部に移動。バスで疲れていたのでちょいと奮発して個室のホテル(クーラー付)にチェックインして爆睡しました。

159日目(Emam Qbli - Quchan)

Kashima maketeta.....shikamo taihai dattarashii....

1浦和 52
2G大阪 48
3鹿島 42

Dep500?
→700? Qucan

Ticket to Tehran [40000??]
→1500Dep

 この日は、、、、周りが明るくなったので起床し、トンネルから出発。UPDOWNがありつつも下り基調の道のりを2時間ほど進んでクッチャンへ到着。銀行へ向かうと、、、閉まってました。周りの人に尋ねると、なんと今日は休日らしい。しかも三連休とか、、、。イランへ入国して丸一日たつがレアル(←イラン通貨)がない、、、。
 途方にくれつつも取り合えずは市の中心部へ。バザールは高級宝石店などでヤミ両替ができる場合があるからです。15分くらいトボトボ歩いていると(←この間にも色々とイラン人から声をかけらてます)、あるイラン人が英語で話しかけてきました。両替できるか聞いたところ、OKとのこと。もう、このイラン人の言い値で取り合えず必要な分のレアルを確保。ひざびさにまともな食にありつけました。
 次に大都市行きのバスを探したいのですが、どこから出発しているのかわからず…。周りのイラン人に聞きますが、微妙に言ってることがそれぞれ違います。とりあえず言われたようにトボトボと歩き続けたのですが、案の定なにもありませんでした・・・・。困っていると、英語を話す親切なイラン人の兄さんが登場。片言の英語でバスターミナルの場所を教えてくれるばかりか、2km程離れていたのですが、歩いて案内してくれました。とてもナイスガイです。ありがたや。
 無事にバスターミナルへつき、チケットも親切なイラン人のナイスガイが間に入って購入してくれました。テヘランまでのチケットを買ったのですが、かなり安い。1000円もしないくらいだったような。
 ターミナルでバスの出発時間を待っていたら、子供やらおっさんに話かけられました。なんでもイランではガソリンが1セント/Lとか、、、日本では1$以上/Lと教えてあげると、「国民は怒らないのか?」と真顔で言われました。そのほか、イランの首都テヘランで嫁さんをもらう場合、男性はおよそ1600万円ほど相手の両親に払わなければいけないとの事。ちなみにおっさんの時は、クッチャンという田舎な事/昔はそれほど高騰してなかった事、もあり5000円くらいだったそうです。なんでそんなに値段が違うのかチトわかりません。英語の聞き間違えかも。
 バスは見知らぬ男女が同席にならないように席を割り振られます。私はロシア人のおっちゃんと後方へ追いやられました。このロシア人のおっちゃんはバスケットのナショナルチームのコーチらしく、ロシアから陸路を乗り継いでイラン入りしたとの事。ナショナルチームなのに飛行機代もでないのか?はたまた、おっちゃんが飛行機ギライなのか判りませんが、いずれにせよ体がデカイ。バスはそこそこいいバスだったんですがロシアのおっちゃんの体がでかすぎて、チトきつい移動となりました。













158日目(Asgabat - Emam Qbli)

Dep700
→845 Post 1
→1245 Gate 1305
→1310 Baggiran 1330
→1830 Emam Qoli 1850
→1900 Under the bridge

 この日は トルクメニスタンを出国してイラン入りしました。
朝、鳩研究所(←宿の通称なのだが、名前をわすれてしまった、、、。)の陽気な主人に見送られて出発。緩やかに傾斜しているアシュガバットを南方向へ、えっちらおっちら自転車で登りはじめました。途中、かなり不思議な光景が続きます。現代のティムールか?はたまた、独裁者だったのか?よくわからないヌヤーゾフ元大統領(バシュさま、故人)が、心血そそいで、天然ガスの儲けもそそいで、つくりあげた不思議なよくわからないモニュメントがならんでいます。なんとも不思議な国トルクメニスタンです。
 二時間ほど自転車をこいでポストに到着。ガイドブックによるとここから専用のマトルシュルートカに乗って国境まで進むはずなんですが、、、、検問所のお兄さん「OK,進んでいいよ」とのこと。私「はい?!」。私は車で山越えと思っていたのですが、自転車で山越えすることに、、、、。ここはかなりきつかったです。途中、ほどんど歩いてました。まさか自転車で山越えをするとは思ってなかったので、水も食料もほとんどなし。悲惨でした。
 やっとこついた国境(標高k1900mくらい)では、「よくきたね~」と好印象を持ってくれる検査官から「こいつアホか?」という兵士まで、いろいろといましたが、すんなり通過。とくにイランのボーダーはとても対応がいいと聞いていましたが、そのとおりとても親切でした。
 国境付近(バージェギラーン)で水、食料を補充。ただ、予定より大分遅れています。このままだと本日の目標地点グーチャンまで届きません。バージェギラーンに留まることも考えたんですが、滞在日数が7日しかないのでとりあえずいけるとこまで進むことに。いざとなったら、ヒッチハイクなりバスにのるなりすればグーチャンまでいけるだろうし、冒険部応援隊としては、野宿でもしてみっか、という気持ちになってました。幸い?野宿セットは一式あります。
 バージェギラーン→クッチャンまでの道のりも峠越えの連続でした。地図でみるとイランはとても山がちな地形です。で、アラビア半島が北上してきて出来たのだろうか(?)よくわからないが、ヒマラヤ山脈と同様に東西方向に山脈が走ってます。東←→西 方向の移動は谷沿いを進めるのですが、南←→北方向に進もうをすると思いっきり峠越えになります。
 で、やっぱりグーチャンまで届かず野宿を決定、途中の小さな集落で食べ物と飲み物を補充して、橋の下(トンネル状)で野宿りました。ちょっと冒険部っぽい感じです。夜、外にでたら満月でした。この月がかけたらラマダーンのハズです。それまでにはイスラム圏を脱出したいものだと、徒然。















157日目(Asgabat)

Dep 845?
→ 900? Hato-Kenkyujyo







156日目(Mary - Asgabat)

→600? Asgaat
→800? Bazali
→1030? Hotel[30US$]












155日目(Turkmenabat - Mary)

Dep830
→840 Bazari Ryogai
→930 taxi[20US$]
→1030 Bairamali 1250
→1300 lunch 1330
→1530 Mary

chiket train[40000mn??]
夕ごはん[20000 ?? Mn]

→2215 Dep to Asgabat





































Archives on the map (Record)

※Map画面をダブルクリックすると移動がとまります。
※画面左のコントロールバーで地図の拡大・縮小が可能です。