徒然日記 2007 fin.

2007年に日本からシルクロードを通ってアジア・ヨーロッパまで自転車で行ってきました。その時のB-logです。行動の記録と写真をlogって家族・知人に現在地を連絡するのに使っていました。現在は無事に帰国しています。右中段のArchivesから記録がたどれます。

月曜日, 6月 11, 2007

81日目(瓜州→敦煌)

 今日は敦煌に突入しました。これから、しばし敦煌でお休みです。(+情報収集)
dep 825(G313)
→830ホテル向かいの飯屋[2.5gen]超市[3gen?]850
→1310莫高窟鎮
→1440莫高窟[180gen]1650
→1730敦煌駅前(新敦煌駅)
→1800敦煌
→1815ホテル

ホテル][500?→380gen*3]
晩御飯[92gen!]
netcafe depo 5gen

 今日は昨日と打って変わり追い風(東風→北東風)で、久しぶりにグイグイ進みました!で、思っていたより早く進んだので今日中に莫高窟へ行ってきました。

 昨日とまったホテルは朝飯サービスがなかったのですが・・・代わりの食料がなかったのでホテルのお姉さんに聞いて向かいの食堂に。朝からたくさんの中国人がいました。中国の方は外食率が高いように思います。
 瓜州郊外で金物を運ぶトラクターを発見。風除けになってもらって、すぐ後ろを進んだんですが・・・3kmほどで曲がっていってしまいました・・・。
 瓜州を南下した国道は山脈の手前で西方向へ曲がります。若干の追い風でした。この後風は強くなっていき・・・Goodです。
 右側(南側)の山沿いを進みます。
 左側(北側)は、途中から荒地でした(↓)。
 途中の様子(↓)。
 基本的に平らで(多少UPDOWNあり)、なにもない道が続きます。追い風だったからスイスイすすみましたが、向かい風だったら辛いだろうと思われ。
 途中の様子(↓)。
 最近は敦煌のそばまで列車が通っているようです(↓)。
 荒地の先に敦煌(オアシス)が見えた!の図(↓)。
 莫高窟への曲がり角のそばに「新?」敦煌駅ができていました(建設中だが列車は運用されている模様。)。
 莫高窟の様子(↓)。中国では写真撮影禁止のところであっても中国人はバシバシ写真とっていて(兵馬庸とか・・・)、監視している人も特に何も言わないのが通常なのですが・・・莫高窟では厳しく規制していました。怒られる人々続出。
 莫高窟の辺りの風景。鳴砂山と岩山のハザマに莫高窟はあるのですが・・・緑豊富です。観光のためとはいえちょっと無理しているというか・・・自然でない感じです。
 莫高窟の辺りでは花も咲いてます。かなり水を撒いてます。
 莫高窟の様子。莫高窟の窟の中は・・・涼しかったです。
 莫高窟は、窟の表に建物や壁を設けて、すべての窟にドアと施錠が施されています。で、ガイドさんの後に付いていって、ガイドさんが選んで鍵を開けた窟を見学するというスタイルです。・・というわけで、あんまり期待していなかったのですが、結構よかったです。仏教という枠組みの中で、各時代のアーティストの作品が並んでる、、てな感じです。(ヨーロッパだとキリスト教の枠組みの中での作品(ルネサンスなど)ありますよね。)。結構荒いつくりなのですが、ライティングのためか(っていうか暗いだけですが・・・)、趣あり、ってな感じでした。
 莫高窟からの帰りの途中。敦煌は意外とおおきなオアシスです。
 途中の図。
 敦煌市内の様子(↓)。河西四郡の中でもオアシスの規模はもっとも小さいようですが、町は(旅行者には)一番使い勝手がよさそうです。大きなホテルはあるし食堂はあるし。
 晩御飯。この地域では羊肉がダントツに美味しいと思います。そういえばチンギスカンの地方に近づいているような。ビールも冷えていてとっても美味しかったです。目黒の秋刀魚のバカ殿といっしょで、昼間動いた後だから「上手いのなんの!」かもしれませんが・・。

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