徒然日記 2007 fin.

2007年に日本からシルクロードを通ってアジア・ヨーロッパまで自転車で行ってきました。その時のB-logです。行動の記録と写真をlogって家族・知人に現在地を連絡するのに使っていました。現在は無事に帰国しています。右中段のArchivesから記録がたどれます。

水曜日, 5月 16, 2007

54日目(宝鶏→伯阳鎮)

 この日は、ひたすら謂河沿いアップダウンの連続でした。
Dep830(G310)
→1100?東盆鎮[Water 1.5gen,Sprit3gen]
→1600 休憩、斎南のおっさん達にあう1630
→1710 渋滞現場[水1.5gen,ペプシ3gen]
→1930 伯阳鎮 王おじさんのお店・住宿[20gen,Water 1.5gen Sprit3gen beer 2gen]

 休憩中に昨日買ったリンゴを食すの図(↓)。梨だと思って購入したのですが・・・
 G310の図(↓)。
 休憩中に撮影した風景(↓)。
 休憩してたら、二人組の自転車おじさんがあらわれた!斎南から自転車できており、これからラサへ向かうらしい・・・。ラサへのルートは5000M級の峠越えが二度ある上、村と村の距離が半端なく離れている荒涼の土地の連続です。これからは雨季の影響もあるかもしれません。このおっさん達はタダモノではありません。
 おじさん達の自転車は中国自転車とミニ自転車で坂道は押していました(↓)。私のタイヤが細くてギヤがたくさんある自転車の方がスイスイ進みます。この自転車でラサへ行くんだから大したもんだナーと思いました。
 途中でものすごい渋滞(3kmくらい)ができていました。渋滞の先頭の様子です(↓)。この先で何があったのかこの時はわからなかったんですが、お前は行っていい、と言われたのでたくさんの中国人に注目されながら進みました。
 そしたら、事故で道がふさがってました(↓)。トラックの運転席がペシャンコでした。ほぼ事故処理は終わっていたので、脇を通してもらいました。おせっかいな中国人が話しかけてきて、「この先、街まで距離があるけど大丈夫か?」ということを、通訳をつれてきてまで聞いてきました。「その通り!時間がないから早く行きたいのじゃ!!」となんとか伝えて、通り抜けました。
 日没せまる・・・の図(↓)。相変わらず霞がかって(ガスって)ます。
 伯阳鎮の様子(↓)。太陽が沈み、暗くなってきたところで、最悪ここで切ろうと思っていた伯阳に到着しました。
 王おじいさんと目があい、値段交渉して泊まることに。交渉する余裕もなかったんですけどね。
 王さん家は、王おじいさん(60)、王お父さん(36)、王お母さん(?)、王小雪ちゃん(13)、王朝くん(11)の5人家族のようでした。が、もう少しいるのかもしれません。。。王さん一家がご飯を食べている横でビールを飲んでました。
 紙風船をあげました!Aさん、役に立ってますよ~。
 朝くん(↓)。
 部屋で地図を確認していたら、小雪ちゃん、朝くんが英語の教科書を持って押しかけてきました。私は小雪ちゃんのことを9,10歳くらいで朝くんを7歳くらいだと勘違いしていたので、中国では小学生から英語を教えているのか!と、びびりました。が、小雪ちゃんは中学生でした。カメラを貸してあげたら喜んでいじってました。小雪ちゃんが写した王朝くんの図(↓)。
 朝くんが写した王小雪ちゃんの図(↓)。PCがないとのことだったのでWEBに乗せておきます。いつか見つけてね。

Archives on the map (Record)

※Map画面をダブルクリックすると移動がとまります。
※画面左のコントロールバーで地図の拡大・縮小が可能です。