徒然日記 2007 fin.

2007年に日本からシルクロードを通ってアジア・ヨーロッパまで自転車で行ってきました。その時のB-logです。行動の記録と写真をlogって家族・知人に現在地を連絡するのに使っていました。現在は無事に帰国しています。右中段のArchivesから記録がたどれます。

水曜日, 7月 11, 2007

110日目(Shelek-Almaty)

 この日はアルマトィまで進みました。カザクスタンの旧首都です。ここは物価が恐ろしく高いところです。中古車が走っていたり、電化製品は韓国製や中国製が多かったりと物価が高い(経済が強い)訳がわからなかったのですが、どうもカスピ海の石油や鉱物資源が豊富でそこからのマネーが流れてきているようです。石油値上げでふんだくったお金は中東の都市や中央アジア、ロシア圏の都市へ流れているようで、当地では少々バブル気味なように感じます。

Dep645
→830/930 パンクF
→1120ドライブイン[昼飯700Tg]1145
→1430アルマトィ中心部

Hotel[20000Tg]
Water,etc.[1000Tg?]

 ホテルを決めた後、即効でウズベキスタン事務所にビザの申請へ行きました。3営業日で取得できるので今週金曜日に取得できると思い、日程計算をして、ウズベク入国を7・29で申請しました。そしたら・・・・来週の月曜日に受け取りに来てくださいとの事・・・・え~、、、。
 これでは、キルギスの首都ビシュケクに寄るとウズベクに29日に入国するのが難しく(ビシュケクで再度カザクビザを取得する必要があるので、ほぼ無理)なります。予定では金土日とビシュケクへ向けて進んで月曜日にビシュケクでカザフビザを申請する計算だったのに、、、、。このままではアルマトィで2日無駄にする事に加えてビシュケクでのビザ申請でも土日をはさんでしまう為、当初の予定から合計4日もロス(単純に400kmに相当)してしまいます。
 ってなわけで現時点ではビシュケクに拠るのをあきらめてカザク領内を進んでウズベク入りを目指そうと思ってます。(現在のカザクビザは7・29まであるのでカザク領内を進む分には問題なし)
 ビシュケクには日本人ご用達の安宿・南旅館がありとても楽しみにしていたのですが・・・・。先行しているチャリダーからも南旅館はいいとこだよ~と聞いていたのに・・・・。亭主のスルダン氏(通称ナンチャン、全然似てないらしい)に会えるのを楽しみにしていたのに・・・・。まぁ、こんなもんでしょうかね。
 バスを使うとか色々シミュレーションしてみたのですが現状、解なし状態です。いい方法が浮かんだらビシュケクによりたいと思いますが・・・・う~ん難しい。

 それよか問題はこの物価がえらく高いアルマトィに一週間もいなくてはいけないということか・・・・。どうしましょ。

 宿のおばちゃんに見送られて出発(↓)。
 途中で休憩中にとった写真(↓)。
 お昼ごはんのシシカバブ(↓)。美味なり。
 アルマトィⅡ駅(↓)。旧首都でも緑がとっても多いです。ってか多すぎだと思います。
 ホテル向かいの公園の様子(↓)。子供が大砲に乗って喜んでいます。
 ウズベク事務所の掲示板(↓)。日本人は15ドルだそうです。
 アルマトィの風景(↓)。
 アルマトィの風景(↓)。
 アイスを買ってみました。100Tg。高いな~と徒然。

109日目(Shelek)

 この日は朝から雨が降っており、9時くらいにもう一泊することを決定してフロントのおばちゃんにお金を払いました。そしたら午後には晴れ上がってました・・・。まぁそんなもんでしょう。

 雨です(↓)。
 ソファーでダラダラ。居心地がよい部屋だったのでもう一泊を決定。
 一眠りして午後起きたら・・・晴れてました。
 街を散策(↓)。
 街を散策(↓)。
 街を散策(↓)。
 おそい昼(朝)ご飯(↓)。
 おそい昼(朝)ご飯(↓)。KAΦEが「カフェ」で飯を食べれるレストランであることをようやく認識しました・・・。居酒屋とかバーだと思って避けてました・・・。
 街を散策(↓)。
 街を散策(↓)。LADA~。
 街を散策(↓)。LADA~。
 晩御飯(↓)。屋外で食事をする形式のKAΦEを見つけました。水餃子とラビオリの中間といったところでしょうか。醤油やトマトソースでなくマヨネーズ(タルタルマヨネーズっぽい味)で食べます。これが意外とうまかったです。水餃子にマヨネーズもイケルのかな~と徒然。

108日目(Syonjyu-Syulek)

 この日はシュレクという街まで進みました。昨晩の飯屋でオジサンにシュレクまでは登って下がって登って登って大変だぞ!と言われていましたが、、、それなりに大変でした。

Dep800
→ 途中、フロントギアへのワイヤーコードを修理
→1300Kolekドライブイン[昼飯450Tg]1400
→1600シュレク

Hotel[2500Tg]
Water,etc.[500Tg?]

 この日はどんよりしていていまにも雨が降ってきそうな天気でした。
 途中、川の部分を通過するのですが、(↓)のように渓谷になっていてアップダウンがあります。
 渓谷を振り返っての図(↓)。地図によると自然保護区のようです。
 フロントギアへのワイヤーケーブルの保護部分(変速する時に中のワイヤが動く)が裂けてしまい、フロントギヤが変則できなくなってしまいました・・・・。
 とりあえずガムテープで補強してフロントギヤを変速できるようにしました・・・。ブレーキワイヤーの予備はもってるんですが流通できるのかわからないので現時点でガムテープ補強のままです。アルマトィではマウンテンバイクショップはいくつか見かけているのですがロードレーサーを扱っている店にめぐり合ってなく本格的な修理がえきていません。
 コレック?という街にあったドライブインで昼食(↓)。
 コレックからは下りが続きます。
 写真で見ると曇りだったせいか暗く感じますが、それほど暗くはなかったです。カザックでは街道では昼間でも(カンカン晴れでも)フロントライトをつけて走っている車が多いです。習慣なのかな?写真は麗しくもボロボロのLADAです。
 シュレクの宿(↓)。この日も売店でジュースを買ったついでに宿を聞くという方法で見つけました。カザクスタンで初のシャワー付きです!即効で洗濯しました。
 シュレクの様子(↓)。
 麗しくもボロボロのLADA(↓)。ボロボロのLADAからベンツやフェラーリのステッカーをはったLADA、老夫婦がのっている手入れの行き届いたきれいなLADA、へんな改造をしたLADA,キャリアに車より大きい荷物をつんだLADAなどものすごいバリエーションがあります。また、よく道に止まっていて大人3人くらいで押していたりします。LADAはパーツが余っているのか、修理が簡単なのか、よく素人さんが修理している姿を見かけます。このすばらしいLADA文化もそのうち無くなっちゃうんだろうな~と徒然。
 宿の様子(↓)。かなり広いです。ベッド3つにソファー部屋あり。

107日目(Japkent-Syonjyu)

 この日はションジュという街まで進みました。大草原・・・というかサバンナのような(←見たことないですが)草原を突っ切りました。野良犬とか野良牛とか野良羊とか野良馬を見ました。
 この日はカザックの方々とのコミュニケーションも上々でした。髭剃ったのが正解だったようです。カザックにはモンゴル系の人がいるので、いがいと日本人も溶け込めるようです。街中で道聞かれたし・・・・。

dep 645
→730 Kektan
→1115 ドライブイン[スプライト100Tg、スパゲティ/ビール380Tg]1210
→1230 昼寝1330
→1550ションジュ

スプライト/アイス[150Tg]
Hotel[2000Tg]
Water,Tabaco,etc.[500Tg?]
夕飯[400Tg?] 

 ジャルケントの宿のおばちゃん(↓)。言葉が通じないんですがありがたいことにジェスチャーだけで泊めてくれました。
 ジャルケントの朝の様子(↓)。昨晩雷雨だったためか空がすっきりしていました。
 カザクスタンの街道の様子(↓)。カザクの街道ではアウディやベンツの中古車が豪快に飛ばしています。そのほか日本の中古車もよくみます。しかしなんといっても多いのはソ連の国民車LADA!ボロボロなんですが懸命に走っていてとってもキュートです。
 道脇の様子(↓)。
 道脇の様子(↓)。遠くの山脈には雪が残ってます。おそらく万年雪。
 中国から流れているイリ川(↓)を渡りました。中国のイリ・カザク地方とカザックの東部は境目があるのか?ってな感じに草原が広がってます。草原の向こうに砂漠でもあるのかな?
 カザクの道の様子(↓)。かなりゴツゴツしています。ウルムチであったイギリスから自転車で来ていたチャリダーの情報では「カザクの道はターマックで問題ないよ」ってなことだったのですが・・・、ターマックはターマックだがロードレーサーベースの自転車にはかなり厳しいです。ガタガタして進まん。
 途中、ドライブインがあったのでお昼休憩(↓)。
 お昼ごはん(↓)。のびたスパゲティーといった感じ。新ジャン地域でよくあったラグメンと同じですが油が違うのかこっちの方が美味しいです。
 カザックのバス停(↓)。カザックではすべての乗用車が即シロタクになるらしく、みんなヒッチハイクをしています。
 ションジュについて、売店でジュースとアイスを購入。で、唯一しっている「宿」という単語を見せてホテルの場所を教えてもらいました。ホテルへ行ったら・・・・カザックの軍人さんたちがたくさんいました(↓)。
 どうも休暇中の様子です。日本人を面白がって、「Yak~!これ食え!」「これ飲め!」「これ持ってけ!」ってな感じで付合わされました。この後、派遣場所へ戻るようでお酒は入りませんでしたが・・・。基本的に軍人は体育会系でノリがよくとっても面白いです。
 なぜかマッスルポーズをとるカザック兵(↓)。
 こっちもマッスルポーズをとります。日本のことでしっているのは、武士道、空手、柔道、(←さすが体育会系)、そして・・・・・高田信彦!、、、なんで高田?と思いましたが、どうもロシア方面では格闘技で有名らしい。今となっては日本ではすっかりギャグっぽいイメージですがね。「Yak、お前も格闘技やってるのか?」と聞かれました。やってないけど友人はやってるよ、と空手の型のマネをしてあげました。高田の罪は大きいですな!タバコを1箱買ってきて、勤務地へ向かう彼らにあげたら大変喜んでくれました。平和が続くとよいな〜と徒然。
 夕飯は宿の向かいの食堂でとりました。よくわからずに注文したら、またラグメンでした・・・。

106日目(清水河鎮-Japkent)

 この日はついに中国を脱出しました。やっとカザクスタンに突入です。国境は呆気なく簡単に通過。両国側で親切にしてもらいました。
 カザクに入って思ったことは・・・・ここは中央アジアってよりかはロシアの片田舎ってことです。髭を伸ばしている人は皆無。いてもあご髭なんてなし。かなり違和感ありです。中央アジア対策でのばしていた髭ですがカザクに入ったその日に全部剃りました。まぁ、中国でそれなりに役にたったので良しとしましょ。

dep 910
→1030コルガス(中)「手持ちの中国元をテンゲに両替」1305
→1315(1115) コルガス(カ)1340(1140) ※()内はカザク時間
→1500(1300)ジャルケント

Hotel[2000Tg]
Water,etc.[600Tg]
ピロシキ*2[50Tg] 

 国境への道(↓)。G312は国境の町コルガスまでつづきます。
 周りの風景(↓)。
 途中で休憩をして朝ごはん(↓)。昨日市場で購入しておいたベーグルみたいなパンです。韓国・中国の中原地域とパンがおいしくなかったのですが、新ジャン地域はパン(というかナン?)がおいしいです。
 国境の町コルガスの入り口の様子(↓)。
 コルガスの風景(↓)。けっこう大きな町でホテルも数件ありました。ここで泊まってもよかったかもしれません。
 両替商のにいちゃん(↓)。国境ゲートへの道すがらで声をかけて来て、ゲートまで着いてきました。こっちとしては複数人の両替商に声をかけてオークション状態へ持ち込みたかったのですが、両替商どうしの暗黙の協力なのか、他の両替商はまったく相手にしてくれません、、、、。けっきょく写真の兄ちゃんと両替交渉へ。彼は満面の笑顔です。
 ゲートの入り口の様子(↓)。中国側はなにかとにぎやかです。中国→カザクと大量の荷物を運ぶおばちゃん軍団多数。
 国境はバスで越えます(↓)。国境警備の軍人さんに協力してもらってバンに自転車を積みました。中国の軍人さんはとても親切です。というか自転車で国境を越えるヤツがめずらしかったようです。英語とロシア語をたくみに操りなかなか優秀です。軍人は自由に旅できないんだよね~って言ってました。国境自体は3分ほどで通過してしまいます。川と橋があるはずなんですがまったく気づきませんでした。。。。
 カザック側の様子(↓)。トラックが国境越えの溜めに延々と並んでます。国境越え自体はもうちょっと調べたらいいんでないか?ってくらいあっさり通れました。ただ国境越えのバスを長い間待つハメに。中国の軍人さんはタイミングが悪かったね~と笑ってました。
 カザック側の様子(↓)。基本的になんにも変わりませんが、ひたすら草原が続いています。ふつう国境は山や海峡やでっかい川があるもんですが、、、、なぜここに国境?ってな感じです。
 ジャルケントについたら自転車にのった兄さんが話しかけてきました(↓)。カザックでは手製のエアロホイール(スポークに紙を貼ったもの)をよく見ます。なんかほのぼのしてしまいます。
 売店(キヨスク?)で店番をしていた男の子。冷えたコーラを売ってくれました。
 宿からの眺め(↓)。中国に比べると緑がとても多いです。というか町が小さいかな。
 バザールでパン(ピロシキ?)を買いました。
 部屋の様子(↓)。乳製品があったのですが・・・生牛乳でなくヨーグルトでした、、、。カザクでも牛乳は出回ってないようです。

Archives on the map (Record)

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