徒然日記 2007 fin.

2007年に日本からシルクロードを通ってアジア・ヨーロッパまで自転車で行ってきました。その時のB-logです。行動の記録と写真をlogって家族・知人に現在地を連絡するのに使っていました。現在は無事に帰国しています。右中段のArchivesから記録がたどれます。

月曜日, 5月 28, 2007

67日目(天祝→古浪県)

Kyou-ha Touge-wo koete, KoRo-ken made kimashita.

 この日は峠越えでした。初めは川沿い(谷沿い)に北西へ進み、鳥鞘嶺が途切れている地点から北上して峠越えです。なだらか~な斜面が続きます。想像していたより上りませんでしたがそれでも3000mくらいの峠超えになっちゃいました。

Dep800(G316)
Pank(F)845
→1140KinTyuHei?
→1240TyouSyou-rei(Top of Touge:3060m)
Pank(F)
→1340AnTen-chin[Ramen 2gen]1410
→1520KoRo-ken
Hotel[80gen]
Water,etc.[4.5gen]
Denner[5gen]
Netcafe[5gen?]

 天祝をでて少し進んだあたりの右側(北側)の様子(↓)。あの雪がついている山脈を越えるのか・・・と軽くヒイテましたが・・・・。
 道の様子(↓)。谷沿いを進みます。
 鳥鞘嶺が途切れている!を見つけて喜ぶの図(↓)。
 左手(南西)の様子(↓)。やけにゴツゴツした山脈がありました。
 右手(北側)の様子(↓)。鳥鞘嶺が途切れているとはいえ、やっぱり登ります・・・。
 金強の集落(↓)。高速道路はもう少し西へ進みグルッと大回りをしますが、一般道はここから峠越えです。
 道端の花(↓)。
 峠を登りかけて、後ろ(南側)を振り返えるとゴツゴツした岩山に雪がついていました。
 なだらかな登り(↓)。羊がたくさんいました。おいしそうです。
 草を食べる羊の風景(↓)。
 もうちょいで頂点!の図(↓)。
 もう少し!の図(↓)。
 峠を登りきると、北西側の鳥鞘嶺が見えました。
 峠を越えて気持ちよく下るも即パンク・・・!の図(↓)。朝も前輪がパンクしたのでチューブだけでなくタイヤも交換しました。
 峠を下っていき最初の集落(安运鎮)で昼飯を食べました。おっさんの勧めるがままに蘭州ラーメン(牛肉面)を注文。ラー油の量が程々で中々の味でした。
 お店のお子さんの様子(↓)。カメラを向けると背筋を伸ばしてシャンとします。
 お店のお子さんの様子(↓)。シャンとします。
 古浪県では、良い感じのレストランが見つけられず、小さなお店に入りました。餃子が食べたかったのですが陽気な親父にうまく誘導されて万頭を食うことに。おそらく万頭しかなかったと思われ。
 古浪県の中心部(↓)。

66日目(永登県→天祝自治県)

 この日は天祝チベット族自治県という街まで進みました。短い移動でしたが、67日目に峠越えが予想されるのでこの街で切りました。

900Dep
→1120Tensyuku-ZouZoku-Jichiken
Gyouza 6gen
Netcafe*2 total 5gen
Hotel 80gen
Water,etc. 14gen?
Denner 17gen?

 途中の風景(↓)。前方(北)。
 途中の風景(↓)。向かって右側(東)。
 途中、道が細くなった箇所を抜けるとチベット仏教様式の塔がありました(↓)。天祝チベット族自治県に入ったようです。
 天祝の様子(↓)。奥の山に微かに雪が残っていました。
 お昼ごはん(↓)。飯を食いつつ地図とニラメッコして今後の行動計画を考え、天祝に宿泊する事にしました。
 お店の看板(↓)。天祝のお店はチベット語?でふり仮名がふってあります。(ふりチベット語?)
 お店の看板(↓)。
 街の中心部(↓)。
 ビリヤードをする人々。中国の街にはほぼ100%ビリヤードの台があります。人気があるらしくCCTV5(中国国営放送のスポーツチャンネル)ではビリヤードの世界選手権が大々的に放送されてました。これが面白く毎晩の楽しみにしてました。今は全仏テニスがメインです。ちょっと前は卓球の世界選手権とNBAが大々的に放映されてましたデス。
 夕食(↓)。

Archives on the map (Record)

※Map画面をダブルクリックすると移動がとまります。
※画面左のコントロールバーで地図の拡大・縮小が可能です。